巨人(ジャイアンツ)からのドラフト一位指名を拒否した(断った)人は誰?理由も調査

巨人(ジャイアンツ)からのドラフト一位指名を拒否した(断った)人は誰?理由も調査

実は、今までの歴史の中でたった1人だけ、読売ジャイアンツからの一位指名を断った選手がいるのをご存知でしょうか?

「あの巨人からのドラフトを断るなんて、相当の理由があったのでは?」

と思ってしまいますよね。

今回は、そんな恐れ多い決断をしたのは誰なのか?

そして理由はなんだったのか?を調査してみました!

巨人(ジャイアンツ)からのドラフト一位指名を拒否した(断った)人は誰?

ジャイアンツからの一位指名を辞退したのは、小林秀一(こばやし ひでかず)さんです。

1973年に行われたドラフト会議で、読売ジャイアンツから一位指名された小林さんが、後にも先にも唯一「ジャイアンツの一位指名を断った男」として語り継がれています。

巨人(ジャイアンツ)からのドラフト一位指名を拒否した(断った)のはなぜ?

小林さんは、将来「野球を教える指導者」になりたかったのです。

ここにドラフトを断った理由があります。

当時は、プロ野球経験者が引退後アマチュア指導者に転進する場合、プロアマ規定によって制約が大きく、特に高校生以上の学生野球や社会人野球の指導者になるのが困難だった背景があります。

プロアマ規定について

プロを退団後に社会人野球に属すると、それが他のチームに大きく差を及ぼす補強になってしまう。また、アマの選手のポジションが簡単に奪われてしまうなどという心配もありました。

昔は、ドラフト制度も無かったために、社会人チームからしたら、社会人野球日本選手権の前に引き抜かれてしまっては大ダメージになってしまうので、大会後までスカウトは禁止という決まりもありました。

社会人野球と、プロ野球の間には大きな溝がありそれが、プロを経て指導者になる道は困難という流れを作ってしまっていたのです。

小林さんは、自分の指導者になりたいという思いを優先して、ドラフト一位指名を断ったのです。

自分の情熱を明確にしてきっぱりと断るのは、すごくかっこいい決断だと思います。

現在のプロアマ間の溝はほとんどなく、指導者になるのに大きい制約はないそうです。

1984年には高校が、「元プロ野球選手の高校教諭10年勤続者に対する特別措置」を実施した。つまり、高校の先生として10年間働けば高校野球の指導が許されることとなったのだ。1994年には勤続期間が5年に、1997年には2年に短縮され、2013年にようやく2年の縛りも撤廃されて、プロ側が行う研修(1日・7コマ)とアマ側が行う研修(2日・10コマ)と適性検査を受ければ、高校・大学の指導者になる資格を回復できることになった。

引用:https://victorysportsnews.com/articles/41/original

15年ほど前にされたある質問とは・・・?

「プロアマ規定が緩和された今、もし巨人に一位指名されたらどうするか?」

という質問に対して、小林さんは「入団すると思う」と答えています。

時代が違えば、小林さんのプロ野球選手としての活躍が見れたのかもしれません。

ドラフトを辞退してからの経歴は?

その後、「熊谷組」という社会人野球チームで8年に渡り活躍をしました。

のちに小林さんの母校である、愛知学院大野球部の監督へ就任し、「愛知大学野球リーグ」では15年で12回の優勝に導いています。強すぎますね!!!

とてもすばらしい指導力を持ち合わせていたのだと思います。

まとめ

唯一、巨人のドラフト一位を拒否した男の生き様は素敵ですね!

指導者になりたいという思いを貫いた結果だと思うと、胸が熱くなりますし、時代が違えば、悩まずにプロで活躍して、その経験を生かして多くの優秀な教え子を輩出したのかもしれないと思ってしまいます。

現在は、このような思いをする人がいない制度になっていて良かったなと思います。

2人目の拒否をする男は当分出てくることはないと思うので、唯一のドラフト一位を拒否した男として語り継がれていって欲しいと思います。

読んでいただきありがとうございました。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です